一万石の城下町【鳥取県安来市】

投稿日:2012/12/18 更新日:

安来市(旧伯太町)母里松江藩の下に広瀬藩があり、その下に位置する母里藩。
日本で一番石高の少ない城はないが一万石の城下町。廃藩置県の折、数年間、母里県ができたと言う。

後藤家(旧宮田家)
後藤家(旧宮田家)
10代続いた藩主の9代目までは江戸詰めを命ぜられる。
弱小の母里藩はとかく松江藩に庇護を受けることが多く本家より隔たりを求められ、通常なら建具の高さは5尺8寸であるが、母里藩では5尺7寸と決められ、書院・床間・長押・押入・袋戸棚などは作ることが出来なかった。

やまとや
明治の建築。現在は、酒屋を営んでいる。
せめてもの贅沢に格子の屋根に猿の頭の格好を模した桟木で仕上げてある。
やまとや やまとや

かのや
江戸時代の建築(この町でもっとも古い建物)。薬局を営んでいた。今では住む人もなく朽ちていくのか・・・。この町で3件の文化財登録がなされた。やまとや・奥野本家・奥野分家には文化庁からプレートが貼られる。今後も文化庁への登録を増やす計画とか。
かのや かのや

奥野本家
明治の建築。創建以来初めて、先の鳥取県西部地震で外壁の漆喰が剥がれた。左官技術の高さが伺える。道路沿いの家屋は道路に対し角度をもって建築した。手前はほぼゼロ、先に行くほど道路との距離が離れる。戦国時代応戦するのに兵士が隠れるに都合がいいとか・・・。
奥野本家 奥野本家

奥野分家
明治の建築。箱階段がある中の間、天井は竹を並べた上に土を葺いた。「大和天井」は高度な防火性・断熱性。
奥野分家 奥野分家

ドイツ壁
奥野分家のドイツ壁。明治から大正期にかけて外国の建築様式を真似するようになった。柱に見える部分と壁面を一体で型枠とし、コンクリートを流し込んだめずらしい塀。
ドイツ壁 ドイツ壁

路地・小路
町並みの裏には路地・小路が配されている。屋敷の裏手には水路がひかれ、洗濯・洗いものなど行われていた。
水路 水路

柴田本家・分家
地元の有力者柴田家には南分家と東分家があり、南分家は住む人無く。
柴田本家・分家 柴田本家・分家

後藤家
広瀬の豪農であった宮田家が取り壊されることになり、後藤家がそのまま譲り受け移築する事となった。10数年かけて完成した宮田家の材料は狂いもなく、虫害も雨漏れもなく腐食が殆どなかった。塾として使われていた宮田家は子供たちの落書きもそのまま壁を壊さず移築。
後藤家 後藤家

2階の座板がそのまま天井板となる、大引き天井の大引きに面が取ってある。この地方ではほとんどされない工法である。
後藤家 後藤家

6室続きの和室はしっとりと落ち着いた風情を醸し出している。
後藤家 後藤家

つくばい、下駄付きの石もそのまま、庭木も移築した。
床の間の掛け軸が大きい場合の底上げ格(ごう)天井。
後藤家 底上げ格(ごう)天井

街のあちらこちらで、その時代の匠のワザを見ることが出来る。
後藤家

わずか一万石の城下町安来市(旧伯太町)母里、何度も洪水と火災に見舞われながらもひたすら営んできたこの街の路地裏まで暖かさを感じました。

-文化財探訪

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