とお~い昔、明治のはじめに「廃藩置県」が発布され、私どもの鳥取県も誕生しました。(明治4年の出来事です)私たちが住む米子市は、伯耆の国で会見郡(あいみごおり)と呼ばれていたようです。
会見郡の中に、米子町や会社のある古豊千村、私の住む福米村。境港市になった境町や渡村。南部町になった天津村や賀野村。伯耆町になった幡郷村や大幡村などなど。そして、会見郡はお隣(旧大山町)の汗入郡(あせりごおり)と合併して西伯郡になったようです。。ワケ分からないけど・・・なんだか面白そうでしょ!
築200年の会見郡尚徳村(現・米子市榎原地内)にある古民家を解体をしていた縁側の風抜き板の裏側に、大工さんのらくがき??を発見しました。
どうやら、自分の名前を書いていたらしく、【大工 長谷川芳太郎】と読めました。
過去、さまざまな古民家を再生や修繕をしてきましたたが、隠れたところに見えないところに書いてあることが多いです。こうした、過去の人の痕跡を見つけるのも、古民家再生のおもしろさですね。
それにしても、旧・大山町あたりは「汗入(あせり)村」だなんて。。。
焦ります???(笑) {{{{(*ω*)}}}} さむぅぅ…